愛の貧乏脱出大作戦 みなみちゃん
10月4日、帰宅後PCで在函館少年のアクセス解析をみるとあるログのアクセス数が急上昇

検索ワードは「愛の貧乏脱出大作戦 みなみ」 「函館 みなみ」 「中華料理 みなみ」 etc.
ツイッターをみて判明、テレビ東京系にて「愛の貧乏脱出大作戦SPECIAL」が放映され、その中でみなみチャンが紹介されていたのですね。
みなみちゃんのことは2年前に、この在函とハコダテ150に書きました。
11年前にTVを見ながら衝撃を受け(イイ意味でもじゃなくても)一度、話をして見たいと思っており、2008年5月に訪問。
その時にも書きましたが「愛すべきアウトサイダー」というべき存在。
まさか、当時、すでに不治の病に冒されていたとは.....
こうなればもう一度、みなみちゃんに会って今の心境をきいてみなければとの奇妙な使命感が芽生えて。
2年ぶりのみなみちゃんは少し痩せていて、ヒゲと眼鏡を。
元眼鏡店勤務のボクはすかさず眼鏡トークを誘発。
なんでも小学生の頃にボールが左目にぶつかりその影響で矯正視力が0.1ギリギリ。
それでも右目が見えるので特に悲壮感は感じてはいないと。そいえばピエール瀧も同じようなこといってたな。なんかこの二人、どこか共通点あるなと感じました。
そして先日のテレビのコトを。
みなみちゃんによると今回の出演に関しての決め手の一つになったのは、先述したハコダテ150のログだそうです。
テレ東ディレクターが過去の出演者からリストアップ。そしてあの日本刀写真が印象付けたとのこと。
それもあってか、ボクに「凄く感謝してます。」
ボクも「それでも、ああいう感じで紹介されることに抵抗はないのですか?」と尋ねると、
「私もいつあの世に行くか分かりません。それで私が生きていた記録が欲しいんです。」 ジブンは言葉を失う...
そこで、みなみちゃんが弟に録画してもらったという先日のVを一緒に観賞。本人の解説付きです。
まず、あの夏でも風呂に入ってないとのコトには反論。「確かに風呂にはあまり入らないけど、シャワーは1日に3回は浴びてた。あの放映後に保健所から指導的な☎が来て困った。」
そしてあの問題発言「ワタシは言っていることとやってることは違う」 本人は「世の中、綺麗ごとをいっても本当にその通りに生きている人っているの 正直にいっただけだ。」 哲学的な部分をチラリ。
ロシア語の習得に関しては、「以前、ロシア人の客が来て帰り際にメモを残し、『パーカ、パーカ』と笑顔で言われて、『バカ、馬鹿』と言われていると思いご立腹。そのメモが気になり、ロシア大学関係の知り合いを辿り、訳してもらうと『おいしかった、ありがとう』って意味であり、『パーカ』もロシアで親しみを込めた言葉であったこと。
それを逆に受けてってしまいその時の相手の申し訳ないキモチになり懺悔の意味も込めて学習に励んだと。
他の出演者は家族を支えねばといったストーリーを展開できるが、みなみちゃんは独身なためにキャラ増長させねばならなかったこと。
他にも、「みなみ」というラーメン店が道東にありその店が「愛の~」が放映後に閉店。数日後に店主と思われる男性から怒号に満ちた電話が。その夜はその恐怖と申し訳なさに金縛りにあったとか。
料理人のキャリアはなんとパティシエから。2年半修業も挫折。その後、市内のホテルでフレンチを経験。
その後、独学で身に付けた(?)中華で「中華料理 みなみ」を17年前に開業。
しかし芽が出ずに、知人のすすめもあり「愛の~」に応募。
本格的に中華を学んだのは番組企画の中華街 四五六菜館。合格はもらえませんでしたがその店と札幌のラーメン店「てつや」での修業は料理人としてのプライドになっていると。
「生きている間はこの仕事を絶対にやめない」。数年前の本田美奈子さんの時には、自分もいつになるのかと覚悟したとか。
一緒にVを見終わり、ポツリ「この頃は若くて生きがってたけど、自分がこうなって他者の弱さも感じて優しくなりましたよ。」
「愛すべきアウトサイダー」って2年前のこと、今は「孤高のモラリスト」か。
この記事へのコメント
もし自分が不治の病を告げられたら、みなみちゃんのように前向きに生きられるだろうかって考えてしまいました。
地元民さま、どうもです。
みなみちゃんは会話中、僕の話も真剣に聞いてくるので、自分も真剣に話を聞きました。
渡辺謙さんや市川団十郎さんのことは凄く励みになってると語ってくれました。
TVの印象はどうかなって気がしますが、
是非、自分の眼と感性で確かめてみて欲しいと思います。